トッポ・ライポを知らない方へ

JFN・FAXボードで配信されていたものをそのまま掲載しています(1998年3月配信のものです)。
なお、2000年5月にコンビ名を「〆さばアタル・ヒカル」に変更しています(オフィシャルサイトはhttp://simesaba-a.hp.infoseek.co.jp/)。


『東京漫才を継承していくのは、この2人だ!』(山藤章二/イラストレーター)
『漫才のテクニックは若手ナンバーワンだろ!』(吉川潮/作家)
『コイツら漫才だけは上手いんだよ!』(高田文夫/放送作家)
『コイツら漫才だけは上手いんだよ!って高田さんが言ってた。』(ビートたけし)
ここでは、2人の所属事務所・オフィス北野が制作したプロフィールを紹介します。


雨空トッポ

幼い頃、NHKの、『できるかな』に憧れ、「大きくなったら絶対ノッポさんになる」との願いも叶わず、一文字違いのトッポさんになってしまう。先代トッポこと、元ザ・タイガースの加橋かつみさんのイメージを見事にブチ壊しにした二代目トッポの誕生である。
少年時代、国際線のパイロットを目指すが、祖父の「外人さんは無茶するぞ」の一言で断念。一転して、プロ野球選手を夢見るも、姉より下手なことに気付きまたもや断念する。
しかし、小・中学時代の漫才ブーム、『ビートたけしのオールナイトニッポン』に衝撃を受け漫才師になることを決意する。高校卒業後上京し追っかけを始める。同時期に追っかけをしていたライポと知り合い、平成元年“北枕”を結成。同年九月弟子入りを認められる。“ダウソタウソ”“ウッチャソナソチャソ”“ダッチョ倶楽部”等、人気コンビの名前をもじって絶対に売れないだろうと思われる芸名を次々と師匠から頂きながらも、ようやく現在の“雨空トッポ・ライポ”に落ち着く。


雨空ライポ

パパはアルコール依存症、ママは温泉宿の中居さんという町中の人が羨むようなハイソな家庭に生まれる。
中学時代、山形が生んだ不世出のエンターティナー・ビートきよし師匠に憧れながらもそれ以上に、相棒であるビートたけし師匠の「オールナイトニッポン」に爆笑し、テレビ、雑誌等で見事のめり込み、いてもたってもいられず、パパを特級酒で、ママを高級割烹着でだまし上京したのはいいが、本人が英会話教材のキャッチセールスにだまされる。
平成元年、ニッポン放送前で弟子志願をしていた現在の相棒と知り合いコンビを結成。都内のライブに多数出演後、遂に弟子入りを許される。平成2年、原子力発電所の教育ビデオ撮影に参加し無事生還。平成3年、川越少年刑務所の慰問に参加、囚人に間違えられるも無事生還。平成4年、肝臓を壊し父親の血統を証明するも無事生還。平成5年、交通事故でムチ打ちになるも己にムチを打って仕事をこなす。あらゆる危険な仕事、病気、事故を乗り越えしぶとく現在に至る。